テレビゲームへの正しい理解を
茂木 健一郎先生インタビュー
(脳科学者、株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、東京工業大学大学院連携教授)

第2回 ゲームを含め、すべては学びのプロセス

茂木 健一郎先生これからますます、インタラクティヴに進化していく

茂木:創世記においてはたまたま、ユーザーと作る側の関係がきわめて「非対称」だったというか、ユーザーは圧倒的に受け取る側だったんですよ。でも、あらゆるメディアに同じことがいえるわけで、たとえばテレビもそうですね。テレビ番組を作る側と受け取る側の関係って圧倒的に非対称でしたけれど、ビデオをエディットするツールなどが出てきて、映像制作の難しさに多くの人が気づいている。そうなってくると、より面白みが増してくる。

 ゲームも同じですよね。キャラクターデザインも含めたすべてが超絶技巧で支えられているっていうことを知ると、よりリスペクトも深まるし、喜びも深まると思われるからです。いまはその過渡期なんじゃないかって思いますね。

――よりクリエイティヴになったということでしょうか?

茂木:そうですね。「セカンドライフ」などを見ても、明らかにネットはそっちの方に行っていますよね。あるいはeコマースのいろんなサイトだって、どんどんインタラクティヴになってきているわけですから、まだまだテキスト情報が中心ですけれど、これからますますインタラクティヴにいろんなことが起こって進化していくことは間違いないと思います。そこでの文法やノウハウは、ゲームの体験を通して培われるところが大きいと思いますよ。ゲームはひとつの現象にすぎなくて、一般的には「インタラクティヴにいろんな情報を相互作用する」っていうことが本質なので、そこには明らかに未来があるわけですよ。

――ネットとゲームは常に歩調を合わせているということですか?

茂木:オンラインゲームはひとつの入り口にすぎなくて、その向こうに広大な世界が広がっているんです。ゲームはまだ30年ぐらいの歴史しかないですけれど、未来を考えないといけないですよね。いくつかのゲームはクラシックとして残っていくと思うんですけれど、「未来がどうなるか」を見通さないと。日本はそれが弱いですね。

 アメリカ人は自分たちがITを作ってきたっていう自負を持っているし、社会を変える原動力としてITを捉えている。「Nature」という有名な雑誌にも、「RPGをやることによって、脳の視覚処理能力が上がる」と報告している研究論文が載っていました。つまり、ゲームもポジティヴに捉えられている。でも、一部の先端的な人を除く日本人は、どうしてもついていけないっていうか反対する感じですよね。たとえば、「いつまでも手書きがいい」って言ってみたりする例などです。でも、未来は明らかにネットやゲームの方に行くので、そこに対応しない限り日本人は取り残されていってしまうと思いますね。

――では、ゲームの問題点とは?

茂木:まず第一は、「これまで圧倒的に受け身であった」という問題ですね。でもゲームを作るツールが今後もっと発展すれば、ある程度は能動的な体験ができるようになってくるのだろうと思います。僕自身、高校のとき自分でプログラムを組んでゲームを作っていましたからね。すごく単純な野球ゲームですけれど、「打率をこう調整するとこうなる」とか考えながら自分で作るのって楽しいんですよ。だからゲームを作る喜びに目ざめてくると、その問題点は解消されていくと思うんです。

 もうひとつ、これは意外と難しいんですけれど「編集」の問題です。みんな、「生の体験が大事だ」って言いますよね。なぜ大事かというと、「意味がまだわかってないから」なんです。たとえば、いまこうして話している場所にもいろんな要素があるわけですよ。文字起こしした時点で情報になっちゃうんだけれど、実際に我々が経験したものってたくさんあるわけです。そのなかから意味を見出すことが、脳にとってすごく大事なんです。

 初期のゲームは「シンボル」や「キャラクター」に依存していたので、意味が最初から与えられていましたよね。だから「子どもたちが01の単純な思考をしてしまう」とか「記号的に割り切ってしまう」みたいに批判されたわけです。でも問題の根はもっと深くて、実際には同じことが言葉の誕生のときにも起こっているんです。たとえば『テーブル』とか『椅子』とか、口に出して言った瞬間に安心してしまう。空だっていろんな表情があるのに、『あ、空だ』って言った瞬間に安心してしまう。実は言葉が誕生したときから、そうして割り切ってしまう危険性が我々の脳の働きとともにあったんですよ。

――ゲームだけが特別なわけではないんですね。

茂木:むしろゲームのようなインタラクティヴな空間は、これから絶対に進展していくと思うのです。だから言葉が誕生したときの我々が“割り切る危険性”と背中合わせだったのと同じように、ゲームが誕生したときにも同じようなことが起こっただけなんです。

 我々は言葉が誕生した瞬間を知りませんが、そのときと同じような奇跡的な歴史の節目にたまたま生まれ合わせただけなんですよ。これから100年とか200年経ったら、インタラクティヴなメディアのなかでのシンボルや記号に対する態度はもっと成熟している。そのころには、まったく違ったことが見えていると思います。

――人間自身も変わってきたのでしょうか?

茂木:ダグラス・フリンっていうニュージーランドの心理学者が、非常におもしろいことに気づいたんです。“フリン効果”っていうんですけれど、1930年代から先進工業諸国の平均知能指数は上昇し続けているそうなんです。いろんな説があるんですけれど、新しい情報メディアの誕生によって人々が高速に情報処理をするようになり、それで平均知能指数が上がっているんだろうというのが有力な説なんですね。

――それはあるかもしれませんね。

茂木:おそらくいまの平均的な現代人は、30〜40年前の人にくらべたらあらゆる意味で大量の情報を処理しているはずなんですよ。明らかに昔より、文脈を切り替えるダイナミクスが速くなっている。たとえば調べものをするとき、昔だったら図書館に行って調べたりしていましたよね。いまはそれがインターネットで、おそらく100倍くらいのスピードでできる。ということは、インターネットを1時間使って得られる情報は昔にくらべると100倍になっているわけですよね。

――ゲームと子どもの関係についてはどうお考えですか?

茂木:お父さんお母さんにとっての心配は、「子どもの勉強がおろそかになるんじゃないか」ってことだと思うんです。でも僕は、『ゲームをやっているときの楽しさと同じ楽しさが勉強にもある』ってことを、子どもたちに知ってほしいんですね。

 去年「脳を活かす勉強法」っていう本に、僕がどうやって勉強してきたかっていうことを書いたんですけれど、僕自身はゲームを含めてすべては学びのプロセスだと思っているんです。僕の専門である脳科学でも、ライフワークである「クオリア」を解くためには知の総動員をしなくてはいけないわけで、それがすごく楽しいんです。「嫌いな勉強からの逃避先としてのゲーム」ではいけないと思うんですが、むしろ逆で、「ゲームの楽しさとまったく同じ楽しさを勉強でも持てるんだよ」っていうことを教えてあげたいなと思っています。

――ゲームと勉強の共通点って、具体的にどんなことでしょうか?

茂木:たとえば「ボスキャラを倒すときの喜び」と、「勉強で難しいところを乗り越える喜び」は同じだと思います。さっきお話ししたドーパミンは、難しすぎても易しすぎても出ないんですよ。全力でがんばってクリアできたときに出るんですけれど、それは勉強もゲームも同じなんです。脳ってバランスが大事だから、「ゲームで味わった楽しみが勉強でも同じように楽しいんだよ」っていうことを実感できるようなゲームソフトが将来出てきてもおかしくない。そういうのは必要だと思います。



茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)
脳科学者。専門は脳科学、認知科学。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、東京工業大学大学院連携教授(脳科学、認知科学) 1962年10月20日東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現職。『脳とクオリア』(日経サイエンス社)、『生きて死ぬ私』(徳間書店)、『心を生みだす脳のシステム』(NHK出版)、『意識とはなにか--<私>を生成する脳』(ちくま新書)、『脳内現象』(NHK出版)、『脳と仮想』(新潮社)、『脳と創造性』(PHP研究所)など著書多数。「クオリア(感覚の持つ質感)」をキーワードとして脳と心の関係を研究。『脳と仮想』で第四回小林秀雄賞を受賞。2006年1月より、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』キャスター。


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